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#0248@本心では…… [ニュース]

So-netニュース
足利事件、無罪論告・最終弁論などの要旨
こんなことを書くと、さらに気持ちを「逆なで」することになるかもしれませんが、検察官の「謝罪」といっても、おそらく心底から謝っているなんてことは、ないと思います。

「何で、オレが謝るんだよ」「ついてねぇな。だから宮仕えはツラいよ」という気持ちが、1%以上はあると思います。

つまり、本心では「謝りたくはない」ということですが、逆に言えば、「謝りたくないのは悪いと思っていないから」ということですから、検察&警察サイド(科警研)は、本心では自分たちのミスを認めることすら、したくないのだと思います。

そういう「体質」だから、えん罪が繰り返されるんです。

われわれの普通の仕事に置き換えて考えてみますと、結果を残すとか成果を挙げるために頑張って、一生懸命やったとしても、不可抗力によって、結果が失敗に終わることってありますよね?
そのとき、どうしますか? 自分の信念に基づいて行った仕事でも、結果的には間違いだった、というとき、多くの人が謝罪したり反省したりするのではないですか?

そういう「普通の人にできること」が、検察・警察関係者にできないのはなぜでしょうか?
もし、検察官個人がミスを認めているのに、組織のメンツのために「謝るな」と有言無言の圧力がかかっている、というのが理由なら、そういう体制、というか関係者の精神構造そのものに問題があると言わざるを得ません。
そもそも、そんなにメンツが大事なら、えん罪など絶対に起こさないよう努力すべきであって、「謝らないこと」に固執するのではなく、「謝るような事態を招かない」ことに神経を使うべきでしょう。そこに大きな「考え違い」があると思います。

「自分が間違えたと思ったら謝る」

そういう風に、教育されてこなかったのでしょうかね。司法試験に合格するような優秀な人たちなのに……。
もしかすると、司法試験を受けるために法律を勉強していくうちに、誤った方向に精神構造がずれていくのかもしれませんね。

検察官だって、子供の頃に一度や二度は「ゴメンナサイ」と謝ったことはあるでしょうからね。

この「足利事件」は、数年後には社会科の教科書に掲載されるかもしれませんね。もちろん、法律学関係の教材にも盛り込まれるでしょう。
そのとき、教師や教授、教官となるような人たちは、いったいどういう「ニュアンス」で、この事件を後輩や学生に教えるのでしょうかね。

そこに法曹界の未来がかかっているような気がします。

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