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俺たちの旅というドラマ(#0320) [テレビ番組]

現代と同じモノ違うモノ

今日あたり、たしか最終回だったと思うが、「俺たちの旅」が、CS・チャンネル銀河で放送されている。
いつも録画して見ており、すでに10話分ぐらい溜まっているので、最終回の後にまとめて見ようと思っているのだが…。 

日本テレビの青春ドラマ「俺たちシリーズ」のひとつだが、1975~1976年の作品なので、もう37年も前のドラマになる。
主演は中村雅俊。当時は人気絶頂の役者だった。「太陽にほえろ」にチョイ役(医大生だったかな?)で登場し、その後、「われら青春」、「俺たちの勲章」で不動の人気を獲得した。当初、「われら~」の主役は松田優作の予定だったが、急きょ、「太陽にほえろ」に出演していた萩原健一(マカロニ)が降板を申し入れたため、その後釜に「ジーパン」として出演するため、松田が中村を「われら~」に推薦したというエピソードがある。これを「日テレ式スライド登板制度」と勝手に命名したが、結局、「~勲章」で2人は共演することとなった。とにかく中村は日テレドラマの出演が多かった(「ゆうひが丘の総理大臣」、「恋人も濡れる街角」など)。日テレといえば読売だが、そういえば巨人軍のフロントにも慶応大学出身者が多いけど、そんな学閥があったのだろうか。 

奇しくも数日前に、「積み木くずし」で中村雅俊が父親役をやったそうだが、俺たちの旅にも作者である穂積隆信は出演している(見てないけど)。 何かの因縁か(中村雅俊の息子の件もあるし…)。

で、今、「俺たちの旅」を見ていて思うのは、「なぜ、当時の中村雅俊は人気があったのか?」ということだ。ウィキなどで出演ドラマの履歴を見ると、たしかに自分自身、ほとんどの作品を見た記憶がある。今と違って、テレビのチャンネルは少なく、ゴールデンのドラマ放送は実質的には民放4チャンネルしかなかった(日テレ、TBS、フジ、テレ朝:当時はNET?)から、とくにドラマに関していえば「視聴率争い」などというものは事実上、ほとんどなかった。同じ時間帯で多くの日本人が「見たいドラマ」というのは、だいたい1つしかなく、「チャンネル権」のある家族の誰かがそれを選択した場合、子供も老人も、そのドラマを見るしかないという状況。子供が時代劇の台詞まわしを真似するのは、みんなで水戸黄門を見ていたからだ。ただ、「~の旅」の裏番組は「NHK大河ドラマ」という強敵。視聴率争いの有無はともかく、我が家のチャンネル権者がよく子供に青春ドラマを見させてくれたものだ。もし、「~の旅」が、その前年度のTBS同枠「日本沈没」と重なっていたら、きっと見られなかったに違いない。アレも子供ながらに手に汗握るドラマだったから。

そう考えると、だから、きっと、中村雅俊のドラマは面白かったのだろう。それでみんなが見ていたのだ。「彼が出るなら面白いに違いない」という期待感というか、予定調和があったのかもしれない。それと、主演するドラマの主題歌を自分で歌うという番組プロデュースにより、街で聞こえる流行歌との相乗効果があったかもしれない。何しろ小椋佳や桑田佳祐が曲を提供していたわけだ。売れない歌手には彼らは曲を書かない(今聞くと、それほど歌唱力は高くないとは思うが…)。

で、また話は戻るが、「では、なぜ面白かったのか?」。それは、予定調和という意味でいえば「キャラクターが決まっていたから」かもしれない。「男らしい」とか「媚びない」とか「こだわりを持っている」とか、そういうキャラだ。見ている側は、ドラマの展開上、彼が不利な状況になっても、「男らしく潔く切り抜ける」に決まっている、決して「残念な」態度は執らない、と確信しながら見ている。つまり、安心したいわけだ。

今なら、こういうキャラは木村拓哉の役目になるだろう。彼はどんな作品に出ても「キムタクであること」をやめないし、制作側もそれを要求しているように見える。芸能界特有の力関係なんかも作用しているのだろうが、とにかくいつも同じようなキャラを演じている。それでいいという人もいるし、それを批判する人も、演技力の低さのせいだという人もいるが…。

ただ、中村雅俊にはそういうキャラに共感する「男性ファン」が多かったような気がするが、キムタクにそういうファンはいるだろうかと考えると、ちょっと違うという気がする。

自分自身の記憶をたどっても、自分が中村雅俊に憧れていたかどうか? と聞かれれば、別にそういう感情はなかった。男から見て「男の魅力」を感じるタイプではないからだ。ただ、逆にカッコよすぎないことで、男性のファンも獲得していたのかもしれない(もちろん女性ファンは多かっただろう)。といいつつも、彼の歌のうち「ふれあい」から「思い出のクリフサイドホテル」までの曲は、すべてカラオケで歌った記憶がある。つまり、流行には乗っていたのだ。ちょうど「俺たちの旅」の放送時期と前後して始まった「白い伝言板(ニッポン放送)」というラジオ番組も毎週チェックしていたし…。

そういう経緯や背景を思い返し、30数年分の記憶をたどった後、あえてそれらを「すっ飛ばして」から「俺たちの旅」を見ると、これがまた面白い。

ドラマでは若者が「社会と自分との距離、立ち位置」でとまどい、自分なりの「生き方」を探そうというテーマが見えるが、時代は今と同様、就職難の時期。好きな仕事を選べるわけではない。「働くということ」を真剣に、より深く視聴者に考えさせようという意図が見える。ただ、これはいつの時代もそうだが、明確な出口のない「議論」なのであって、ドラマとしては最終的には誰もが完全に納得できる展開にはなりにくい。うがった見方をすれば、制作サイドにも「あえて結論を出さない」という意図があったように思える。もしかすると、そもそも10月スタートの2クール予定でスタートした番組だったため、本来は3月で終了し「主人公は大学を卒業して終わり」というのが、当初のストーリーだったのに、放送延長で卒業後の展開も考えなければいけなくなって、苦し紛れに「働くこと」をテーマにしてしまったのかもしれない。

ただ、そのおかげで、今見るといろいろな面で勉強させられる。そのひとつが、「就職しない」と決めた中村雅俊扮する「カースケ」が、とにかく毎回いろいろなアルバイトをするという設定。。第1話からその業種をリストアップしているので学生時代からの分を含むが、放送終盤で「なんとかする会社」を立ち上げるまでに、オメダ(田中健)が就職前に働いた分も含め、40数種類のアルバイトをしているのだ。その多くは肉体労働だが、電車の車両洗車とか、ガラス職人、面接助手など、一風変わった仕事もある。そうやって、多くの職種を紹介することで、「どんな仕事でも一生懸命やることが大事なんだ」と伝えたかったのだと思う。とくに、カースケが一心不乱に働くシーンでは、いつもBGMのみでセリフなし、という演出が数十秒間あったりして、そこにメッセージ性が強く感じられるのだ。これは「太陽にほえろ」の刑事が走るシーンと共通するものがあるかもしれない。当時の「日テレ的ドラマ演出」の手法だったのだろう。

それと、このドラマ、普通に「懐かしい」と見るのも楽しい。自分自身は、当時は「東京」をほとんど知らない小学生だったが、今になって見ると「どうやら、このドラマは都内各地でロケをやっていたらしい」ということがわかる。

放送終了の数年後に大人になって、その後、東京で仕事をしながら、あるいは移動しながら見た景色が、「再放送ドラマでその過去が再現される」というのはとても新鮮な感覚だ。当時はビデオデッキもなかったが、今は便利な時代なので、ドラマに登場する建物や看板、道路標識まで静止画で確認できる。

よく登場するのは、井の頭公園および駅周辺、吉祥寺駅周辺だが、新宿駅南口、市ヶ谷駅周辺など、中央線沿線がよく出てくる。アパートは方南町だし、渋谷や原宿、外苑、目黒、多摩川土手、調布飛行場周辺なんかも出てくる。もちろん、40年近く前の風景なので、現在とは異なるが、たとえば自分が20年前、30年前に見た「東京」の記憶と比べたときに、いろいろな記憶が瞬時に蘇ってくるのが楽しい(まあ、辛いこともいっしょに思い出すけど)。方南町のアパート「たちばな荘」の周辺には、「~の旅」ファンがカメラ片手によく出没するらしい。

というわけで、なんだかんだと批判しつつも、やっぱり見てしまい、こうしてブログにまで書いてしまった。それはきっと、このドラマに魅力があるからなんだろう。それを自分自身で再確認した。さて、これから、しみじみと最終回を見よう。

ただ、「俺たちシリーズ」はこれで終わりではなく、「俺たちの朝」に続く。明日あたりから始まるはずだ。このドラマの場合、ロケ地が家の近所だったので、「風景」に関しては、「~の旅」よりも思い入れは強い。確か、学校の帰りに「極楽寺」までロケを見に行ったけど、すでに終わっていたんだったなぁ…。 

う~ん、どうしよう。現時点では「見るか見ないか」迷っている。見始めると全話見なければならないし…。

とりあえず、第1話だけ見てみるか。 


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