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愛車遍歴とカーグラTV(#0321) [テレビ番組]

なぜ同じ時間帯に放送するのか

普段、「自動車」に関するテレビ番組をひと通り見ている。

年明けの各局の特番が終わった後、ようやくレギュラー番組の新しい番組表が見えてきたところで、早速、予約録画の設定を見直すことにした。

が、なんと、困ったことに、いきなり、来週の水曜日深夜に「おぎやはぎの愛車遍歴」(BS日テレ)と「カーグラフィックTV」(BS朝日)の放送開始時刻が重なっているではないか(23:00スタート)。去年の秋までは「カーグラ~」が再放送されていたが、それも取りやめになった。今や、録り漏らしはできないのだ。

どちらも、普段、録画して保存している番組だが、この週はチャンネル銀河の「俺たちは天使だ」が始まっていて、水曜日の23:00~は3話目が放送される予定なので、これを含めて、3番組を同時に録画しなければならない事態になった。

「愛車遍歴」はこの日(1/9)のみがイレギュラーで、次週からは22:00スタート(元の枠)に戻るらしいが、とにかく、来週は何とかして切り抜けなければならない。何しろ、我が家にはレコーダーは2台しかないからだ。しかも、1台はCS登録機なので、「俺たちは~」を録る場合はクルマ2番組のどちらかを選ぶことになる。別のチューナーで見るだけなら可能だが…。 

となると、「俺たちは~」を生で見ながら(もともと永久保存する予定はないので)、ほかの2番組を録画しなければいけないということだ。そもそも、この日、23:00に家にいることができるだろうか? できそうだろうか? そこが問題だけど。

それにしても、年始の緊急時とはいえ、日テレもよりによって、「カーグラ~」にぶつけることはないだろうに。同じクルマ番組なんだし…。

と、ここでまた「うがって」見た。もしかすると、日テレは試験的に同時刻に「愛車遍歴」を放送し、視聴率のデータを採るつもりなんじゃなかろうか?

「カーグラ~」のライバルたりうるかどうかをテストするというわけだ。いや、やっぱりないか…。

 


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俺たちの旅というドラマ(#0320) [テレビ番組]

現代と同じモノ違うモノ

今日あたり、たしか最終回だったと思うが、「俺たちの旅」が、CS・チャンネル銀河で放送されている。
いつも録画して見ており、すでに10話分ぐらい溜まっているので、最終回の後にまとめて見ようと思っているのだが…。 

日本テレビの青春ドラマ「俺たちシリーズ」のひとつだが、1975~1976年の作品なので、もう37年も前のドラマになる。
主演は中村雅俊。当時は人気絶頂の役者だった。「太陽にほえろ」にチョイ役(医大生だったかな?)で登場し、その後、「われら青春」、「俺たちの勲章」で不動の人気を獲得した。当初、「われら~」の主役は松田優作の予定だったが、急きょ、「太陽にほえろ」に出演していた萩原健一(マカロニ)が降板を申し入れたため、その後釜に「ジーパン」として出演するため、松田が中村を「われら~」に推薦したというエピソードがある。これを「日テレ式スライド登板制度」と勝手に命名したが、結局、「~勲章」で2人は共演することとなった。とにかく中村は日テレドラマの出演が多かった(「ゆうひが丘の総理大臣」、「恋人も濡れる街角」など)。日テレといえば読売だが、そういえば巨人軍のフロントにも慶応大学出身者が多いけど、そんな学閥があったのだろうか。 

奇しくも数日前に、「積み木くずし」で中村雅俊が父親役をやったそうだが、俺たちの旅にも作者である穂積隆信は出演している(見てないけど)。 何かの因縁か(中村雅俊の息子の件もあるし…)。

で、今、「俺たちの旅」を見ていて思うのは、「なぜ、当時の中村雅俊は人気があったのか?」ということだ。ウィキなどで出演ドラマの履歴を見ると、たしかに自分自身、ほとんどの作品を見た記憶がある。今と違って、テレビのチャンネルは少なく、ゴールデンのドラマ放送は実質的には民放4チャンネルしかなかった(日テレ、TBS、フジ、テレ朝:当時はNET?)から、とくにドラマに関していえば「視聴率争い」などというものは事実上、ほとんどなかった。同じ時間帯で多くの日本人が「見たいドラマ」というのは、だいたい1つしかなく、「チャンネル権」のある家族の誰かがそれを選択した場合、子供も老人も、そのドラマを見るしかないという状況。子供が時代劇の台詞まわしを真似するのは、みんなで水戸黄門を見ていたからだ。ただ、「~の旅」の裏番組は「NHK大河ドラマ」という強敵。視聴率争いの有無はともかく、我が家のチャンネル権者がよく子供に青春ドラマを見させてくれたものだ。もし、「~の旅」が、その前年度のTBS同枠「日本沈没」と重なっていたら、きっと見られなかったに違いない。アレも子供ながらに手に汗握るドラマだったから。

そう考えると、だから、きっと、中村雅俊のドラマは面白かったのだろう。それでみんなが見ていたのだ。「彼が出るなら面白いに違いない」という期待感というか、予定調和があったのかもしれない。それと、主演するドラマの主題歌を自分で歌うという番組プロデュースにより、街で聞こえる流行歌との相乗効果があったかもしれない。何しろ小椋佳や桑田佳祐が曲を提供していたわけだ。売れない歌手には彼らは曲を書かない(今聞くと、それほど歌唱力は高くないとは思うが…)。

で、また話は戻るが、「では、なぜ面白かったのか?」。それは、予定調和という意味でいえば「キャラクターが決まっていたから」かもしれない。「男らしい」とか「媚びない」とか「こだわりを持っている」とか、そういうキャラだ。見ている側は、ドラマの展開上、彼が不利な状況になっても、「男らしく潔く切り抜ける」に決まっている、決して「残念な」態度は執らない、と確信しながら見ている。つまり、安心したいわけだ。

今なら、こういうキャラは木村拓哉の役目になるだろう。彼はどんな作品に出ても「キムタクであること」をやめないし、制作側もそれを要求しているように見える。芸能界特有の力関係なんかも作用しているのだろうが、とにかくいつも同じようなキャラを演じている。それでいいという人もいるし、それを批判する人も、演技力の低さのせいだという人もいるが…。

ただ、中村雅俊にはそういうキャラに共感する「男性ファン」が多かったような気がするが、キムタクにそういうファンはいるだろうかと考えると、ちょっと違うという気がする。

自分自身の記憶をたどっても、自分が中村雅俊に憧れていたかどうか? と聞かれれば、別にそういう感情はなかった。男から見て「男の魅力」を感じるタイプではないからだ。ただ、逆にカッコよすぎないことで、男性のファンも獲得していたのかもしれない(もちろん女性ファンは多かっただろう)。といいつつも、彼の歌のうち「ふれあい」から「思い出のクリフサイドホテル」までの曲は、すべてカラオケで歌った記憶がある。つまり、流行には乗っていたのだ。ちょうど「俺たちの旅」の放送時期と前後して始まった「白い伝言板(ニッポン放送)」というラジオ番組も毎週チェックしていたし…。

そういう経緯や背景を思い返し、30数年分の記憶をたどった後、あえてそれらを「すっ飛ばして」から「俺たちの旅」を見ると、これがまた面白い。

ドラマでは若者が「社会と自分との距離、立ち位置」でとまどい、自分なりの「生き方」を探そうというテーマが見えるが、時代は今と同様、就職難の時期。好きな仕事を選べるわけではない。「働くということ」を真剣に、より深く視聴者に考えさせようという意図が見える。ただ、これはいつの時代もそうだが、明確な出口のない「議論」なのであって、ドラマとしては最終的には誰もが完全に納得できる展開にはなりにくい。うがった見方をすれば、制作サイドにも「あえて結論を出さない」という意図があったように思える。もしかすると、そもそも10月スタートの2クール予定でスタートした番組だったため、本来は3月で終了し「主人公は大学を卒業して終わり」というのが、当初のストーリーだったのに、放送延長で卒業後の展開も考えなければいけなくなって、苦し紛れに「働くこと」をテーマにしてしまったのかもしれない。

ただ、そのおかげで、今見るといろいろな面で勉強させられる。そのひとつが、「就職しない」と決めた中村雅俊扮する「カースケ」が、とにかく毎回いろいろなアルバイトをするという設定。。第1話からその業種をリストアップしているので学生時代からの分を含むが、放送終盤で「なんとかする会社」を立ち上げるまでに、オメダ(田中健)が就職前に働いた分も含め、40数種類のアルバイトをしているのだ。その多くは肉体労働だが、電車の車両洗車とか、ガラス職人、面接助手など、一風変わった仕事もある。そうやって、多くの職種を紹介することで、「どんな仕事でも一生懸命やることが大事なんだ」と伝えたかったのだと思う。とくに、カースケが一心不乱に働くシーンでは、いつもBGMのみでセリフなし、という演出が数十秒間あったりして、そこにメッセージ性が強く感じられるのだ。これは「太陽にほえろ」の刑事が走るシーンと共通するものがあるかもしれない。当時の「日テレ的ドラマ演出」の手法だったのだろう。

それと、このドラマ、普通に「懐かしい」と見るのも楽しい。自分自身は、当時は「東京」をほとんど知らない小学生だったが、今になって見ると「どうやら、このドラマは都内各地でロケをやっていたらしい」ということがわかる。

放送終了の数年後に大人になって、その後、東京で仕事をしながら、あるいは移動しながら見た景色が、「再放送ドラマでその過去が再現される」というのはとても新鮮な感覚だ。当時はビデオデッキもなかったが、今は便利な時代なので、ドラマに登場する建物や看板、道路標識まで静止画で確認できる。

よく登場するのは、井の頭公園および駅周辺、吉祥寺駅周辺だが、新宿駅南口、市ヶ谷駅周辺など、中央線沿線がよく出てくる。アパートは方南町だし、渋谷や原宿、外苑、目黒、多摩川土手、調布飛行場周辺なんかも出てくる。もちろん、40年近く前の風景なので、現在とは異なるが、たとえば自分が20年前、30年前に見た「東京」の記憶と比べたときに、いろいろな記憶が瞬時に蘇ってくるのが楽しい(まあ、辛いこともいっしょに思い出すけど)。方南町のアパート「たちばな荘」の周辺には、「~の旅」ファンがカメラ片手によく出没するらしい。

というわけで、なんだかんだと批判しつつも、やっぱり見てしまい、こうしてブログにまで書いてしまった。それはきっと、このドラマに魅力があるからなんだろう。それを自分自身で再確認した。さて、これから、しみじみと最終回を見よう。

ただ、「俺たちシリーズ」はこれで終わりではなく、「俺たちの朝」に続く。明日あたりから始まるはずだ。このドラマの場合、ロケ地が家の近所だったので、「風景」に関しては、「~の旅」よりも思い入れは強い。確か、学校の帰りに「極楽寺」までロケを見に行ったけど、すでに終わっていたんだったなぁ…。 

う~ん、どうしよう。現時点では「見るか見ないか」迷っている。見始めると全話見なければならないし…。

とりあえず、第1話だけ見てみるか。 


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新生アンビリバボー(#0315) [テレビ番組]

フジテレビ、アンビリバボーのスペシャルを見た。

そういえば、剛力彩芽がMCって、番宣をやっていたなぁ、と思いつつ、「クローズアップ現代」を見ずに、8ボタンをポチ。

やっぱり、クロ現を見ておくべきだった。シャープの液晶の話の方がよっぽどタメになった気がする。アレって、BSで再放送してたよな? 後で見よう。

で、アンビリの方は、なんかちょっと変。世界の仰天映像を流すという番組のテーマは変わらないが、スペシャルらしく、ゲストのコメントがいつになく多い。映像だけをピックアップしたら、それこそ1時間枠で収まるんじゃないかと思ってしまうが…。

そんな感想を持ちながら見続けていたところ、何か違和感が…。そう、所ジョージがいないのだ。それに、よくよく見ると、これまでの番組とゲストの数も変わらない。

何がスペシャルだ! と不機嫌になりかけたとき、そのゲストのアニマル浜口一家(奥さんまで登場していた)が笑わせてくれた。いやぁ、あのハイテンションおじさんは相当面白いな。娘が引退すると、オヤジの出番もなくなるかと思ったが、あれはあれで、ピンで十分面白い。

結局、レギュラー番組のスペシャルとしてはあまりにもチープな印象だったが、それでも気になるのは次回の放送。所ジョージはもう出演しないのか? 番組の構成はアレでいいのか? といろいろと興味はある。

だから、なんだかんだ文句を言っても、また見ちゃうんだろうと思う。 


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アタック25(#0312) [テレビ番組]

先日、CSで「クイズダービー」という懐かしい番組を見た。

クイズダービーは30年ほど前のクイズ番組。大橋巨泉を司会者に据え、はらたいら、竹下景子などのレギュラー陣と、準レギュラー、ゲストを組み合わせた5人の解答者がクイズに答えるという番組だ。

当時、「視聴者参加型」のクイズ番組はたくさんあったが、クイズダービーの場合、出演する一般人は解答者席に座るのではなく、「だれが正解を出すか?」に持ち点数を賭けるという役回りになっていて、その設定がとても新鮮だった。「一般人が頑張ったとしても、賞金を獲得できるワケではない」という、何となく「肩すかし」感があるところが魅力的だったのである。

何しろ、当時の視聴者参加型のクイズ番組は、「クイズタイムショック」「クイズグランプリ」など、「とても記憶力のいい人か、たくさん勉強してきた人」しか賞金や賞品を獲得できないものが多く、こういうクイズ番組の場合、最初は「へ~、凄いね、この人」なんて感心して見てはいるものの、そのうち、あまりにもアタマのいい解答者が登場すると、何だかムカついてきたりして、そのころには「飽きられる」というパターンが多かったのだ。

とまあ、クイズダービーを見ながらそんなことを考えていた。最近は、視聴者参加型のクイズ番組が少なくなったが、過去を遡ると、そういう経緯があったのだなぁ、と。

しかし、だからといって、タレントが解答するクイズ番組が多すぎる現在はどうなんだろうか? 圧倒的に多すぎて「気持ち悪いぐらい」だ。

一説によると、芸能プロダクション側からの「一度にたくさんのタレントを出演させたい」という要望に答えるのが目的とも。クイズ番組のほとんどはスタジオ収録なので、ロケ代が浮くとか、テレビ局サイドの経費的な都合もあると聞く。出題用の取材や録画はもちろんロケで行うが、タレントが移動するより制作プロのスタッフが移動する方が、はるかに安く上がるからだ。

でも、もし「制作費」を削減したいなら、一般人をスタジオに呼んだ方がよっぽど安く済むのではないだろうか? 今なら、その方が視聴率が取れるような気がする。

何しろ、タレントが出るクイズ番組は「ウケ狙い」の解答が多く、個人的には、アレはクイズ番組として成立していないと思うのだ。「解答を出すつもりのないヤツ」が、その収録日の朝、スタジオに向かう風景を想像するだけで、怒りが込み上げてくる。

「どうハズせばウケるかな?」

と、きっとスタジオへの移動中、ずっと考えているに違いないのだ。

「正解を目指さないクイズ番組」はクイズ番組ではない。だから、出演者の中に芸人が何人かいる場合、そういうクイズ番組は絶対に見ないことにしている。絶対に、初めから「ハズす」ことを目指しているに違いないからだ。

とまあ、クイズダービーを見ながらそんなことを考えていたとき、「そうだ、アタック25があったじゃないか!」と思いついたのだ。
今年で36年になるという「パネルクイズ アタック25」は、当時からマニアックなクイズ番組として認識されていたような気がする。
何しろ、放送が日曜の昼頃(当時)だから、わざわざ「家でクイズ番組を見よう」と思わない限り、ほとんど見落としてしまうのだ。

放送開始時、小学生だったこともあって、数回は見たが、中学に入って部活を始めた途端、まったく見なくなった。その後、年齢を重ねるうちに、ますます「外向き」のレジャーが増えるにつけ、「もし日曜の昼に在宅しているときは寝ているに決まっている」という状況となり、たまに「アタック25」が画面に映っていると、「これ、まだやってたのか!」と驚いたりしたものだ。

「アタック25」についての説明は不要だと思うが、あの番組の面白さは「オセロゲーム」の要素を取り入れることで、「大どんでん返し」が起きる可能性を秘めているということだろう。たしかに「物識り」の人たちが出場しているが、「だからといって勝てないから」面白いのだ。このあたりは、クイズダービーに通ずるところがある。

ということで、やはり、これからのクイズ番組では、「シロウトを出場させる」というのが面白いのではないだろうか。クイズの形態を工夫して「物識りだけの番組」にならないようにすればいい。いろいろな人を出場させ、賞金や賞品を持って帰ってもらう。視聴率が取れればCMもつくし、賞品の確保にも困らないだろう。要するに、見ている人たちが「わたしも出たい」と思える番組にすればいいのだ。

これなら、たくさんの芸人が出る「だれが来ても同じ」なクイズ番組よりも、よっぽど面白いに決まっている。

それで、どうせやるなら、今どきならば「東北地方」で収録したり、出場者を募ったりしてほしいと思う。公開収録のクイズ番組というのも面白いかも?

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小鳩くるみ会(#0309) [テレビ番組]

CS放送で「月光仮面」を見た。

シロクロの相当古い番組なので、30代以前の人は知らないかもしれない。
子供の頃に、何度か「再放送」を見た記憶はあるが、内容はまったく憶えていないし……。

で、実は月光仮面のことなんか、どうでもよくて、そんなことよりも気になったのが、
主題歌の紹介のところでチラッと出てきた「小鳩くるみ会」。
ファンクラブや後援会ではなく、合唱隊らしき存在だ。

主題歌:「月光仮面は誰でしょう」
歌:近藤よし子、小鳩くるみ会
作詞:川内康範

作詞家の川内康範は、森進一の「おふくろさん」を書いた人で、その騒動でご記憶の方も多いだろうが、まさか子供番組の主題歌まで手がけていたとは。昭和33~34年の活劇なので、大人も子供もなかったのだろうか。
個人的には「♪月光仮面のおじさんは~♪」というくだりが子供の頃から気になっていた。ヒーローが「おじさん」でいいのか?
川内さんは、その他、多くの作品を世に送り出しているので、気になる人は「かわうちこうはん」で調べてみてね。

それはともかく、「小鳩くるみ会」である。
「小鳩くるみ」という人物は、天才少女歌手として、わずか3歳でデビューし、その後、声優や司会者などを経て、現在は大学教授を務めているらしい。小学生でテレビ番組の司会をやったというから、今なら芦名愛菜か?

ワタシが彼女の名を知ったのは「アタックNo.1」(昭和43~45年)というバレーボールを題材にした少女スポコンアニメの主題歌を歌い、主人公「鮎原こずえ」の声アテを担当していたことによる。
しかし、彼女の「それ以前」については、子供のワタシにとってはどうでもいいことだった。

ところが今回、「小鳩くるみ会」の存在を知り、情報を集めてみて驚いた。
月光仮面は昭和33年から放送されていたが、その時点では、昭和23年生まれである小鳩くるみは弱冠10歳。わずか10歳だったにもかかわらず、自分の名前を冠したコーラスグループだか合唱隊を持っていたということに衝撃を受けたわけだ。

いくら天才少女でも……。

当時、テレビ番組の主題歌をコーラスグループが歌うことは多かったし、少年(または少女、あるいは混声)合唱隊も数多く存在した(らしい)。
われわれの世代では、コロムビアゆりかご会や、東京少年少女合唱隊が有名だったが、その多くは「レコード会社」の専属歌手として結成され運営されていた。今でもその流れを汲んでいるだろう。

「小鳩くるみ会」も別名を「キング小鳩会」というらしいので、おそらくキングレコードとの関係があったのだろう。有名な少女歌手の名前を冠することで、知名度と説得力を高めようとしたのかもしれない。

ただし、小鳩くるみ本人は、キングではなくビクターの専属歌手(現在も)だ。その点が解せない。それに、自分の名前の合唱隊があるのに、なぜ月光仮面のメイン歌手が「近藤よし子」だったのかも気になる。

当時、レコード会社各社の間には、力関係というか、会社によっては従属関係があったりして、完全なライバル企業ではない場合もある。そのあたりの事情が話を複雑にしているのかもしれないが、ネットでそれらの情報を調べた限りでは、「小鳩くるみ会」の設立その他の経緯にかかわる情報は出てこなかった。

昭和30年代の歌手や子役、合唱隊などに詳しいサイトはたくさんあったが、残念ながら「小鳩くるみ会」のことは、結局ほとんどわからなかったのだ。残念……。

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#0308@ヤマトがね [テレビ番組]

TBSに何のメリットがあるのか

木村拓哉主演の映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」が話題になっている。もちろんこれは「宇宙戦艦ヤマト」の実写版である。

「エネルギー充てん120%」の意味がわからず使っていたリアル世代としては、たしかに気になる映画だ(毎回120%で波動砲を発射するなら、それが100%じゃないか? と今でも思う)。

映画の前評判を見ると、「アニメに思い入れがある人は見ない方がいい」とか、「キムタクの演技が…」などと否定的なものが多い。

そもそもこうした古い作品の映画化については、時代的な「運」もあると思うので、じつはその「デキ」にはあまり期待していない。「時代的」とはつまり、本来ならば、もっとずっと前に「ヤマト」は実写化されていてもおかしくはなかったからだ。松本零士(時)と西崎義展の裁判沙汰さえなければ、もっと早く実写化されていただろうし、現在よりも高い人気を得る可能性があったはずだからだ。

個人的には、今のところこの作品を見る予定はない。
「BSで放送されれば見てもいいかな」というぐらいだ。

前評判が悪いから見ないのか? たしかにソレもある。でも、それで作品を評価するのは卑怯だ。ただ、他人の評価を基準に映画を語るぐらいなら、見ない方がいいとも思う。どうしても評価したければ見なければならないし、別に見なくてもいいし…、という心理なのだ。

そういう「小さな葛藤」があったが、とりあえずそれを「見ない方」に思い切り押し込んでくれたのが「TBS」だ。
執拗で無礼で脳天気な「映画の番宣」、それが理由だ。バラエティやクイズ番組やあれやこれやと、映画の宣伝のために出続ける出演者たち。自社CMだけならまだしも、ゲストや特集として番組に組み込むのだから許せない。その番組を純粋に楽しみたい「固定客」をナメている。
そもそも最近は、スポンサーを取れないためか、CMの総時間枠が減っているらしく、その穴を埋めるべく、やたらと「番宣」が多く、自社CMやバラエティ番組での長めの紹介コーナーだけでは飽きたらず、番宣だけの番組があったり、そのダイジェスト版まであるということにただでさえ辟易しているのに、今回の「ヤマト」は、さらにそれに輪をかけてひどい。

普通は時間枠に余裕があるなら「単独の番組を作ればいい」となるのだが、CM減少で収入が減っているので、制作費も削らざるを得ず、そんな番組を作っている余裕がないというわけ。だから、各番組を編集して切り詰めて、「編集スタッフの人件費以外の経費ゼロ」でダイジェスト版を作るわけだ。必要ならば、何年も前の番組も再編集でつなぐ。

もともとバラエティ番組は、ひな壇にたくさんのタレントを並べたとしても、芸人の割合を増やし、さらにロケを減らせば制作費が安く上がるし、おいしい「コメント」だけカットして使えばいいからダイジェスト向き。そんなわけでクイズ番組も増えている。

実は、そういう安易な番組作りがスポンサー離れの原因なんじゃないか? と思うが、現場のスタッフはそんなことを考える余裕はないようだ。もっと面白い番組を作ればファンも付くしスポンサーも付くと思うんだが…。

とまあ、ちょっと話が逸れたが、今回の「ヤマト」も、どうもそういう「テレビ局の基本姿勢」が反映されているような気がする。
「映画作品におんぶにだっこ」じゃ、テレビ局の威厳が保てないと思うがねえ。

ところで、宣伝がうまくいって映画が売れたら、TBSにどんなメリットがあるというのだろうか?
DVD化して利益が出るとか? グッズの著作権とか?

だいたい「映画にテレビ局がくっ付く」なんてのは、「ジブリと日テレ」だけでたくさんだ。
これじゃ、どうせテレビ放映されるときも「他の番組の番宣付き」になるんだろうし(仮にBS-iで放映されても、CMナシはあり得ない)。

とまあ、もろもろ考えると、結局のところ、どうやら「見ない」という選択になりそうだ。


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#0207@バカテレビ [テレビ番組]

So-netニュース
>日本テレビ系バラエティー「行列のできる法律相談所」が予告していた内容を放送しなかった、とネットで騒動になっている。当日の番組内でも、離婚したタレント磯野貴理さんと元夫の対面シーンがあると何度も繰り返したが、録画番組にもかかわらず、番組の最後で、放送は次週になると発表したからだ。「視聴率を稼ぐこそくな手法」「番組水増しして経費節減か?」といった批判が出ている。

というJキャストのニュースです。

最近、テレビ関係者の「モラルの低下」が話題になることが多いですね。それを追及しているのは新聞や週刊誌ですが、ではそれらほかのマスコミはどうかというと、「どっちもどっち」という気もしますが……。

それにしても、テレビ局の社長って、そもそも謝罪するために存在しているんでしょうかね? こういうときしか出てこないですものね。名誉職というのはそういうものでしょうか。

でも、もしそうなら、もうちょっとマシな謝り方があるんじゃないですか?

「不適切な表現だった」とか「今後の課題にしたい」とか言い訳じみた言葉遣いしかできないんですかね。これじゃ、ゼンゼン謝っちゃいないですよね? 正しい日本語を話す必要のあるアナウンサーの上司として失格じゃないですか?

最近のテレビ放送は、たぶん、CM収入が減っているせいなんでしょうね、そりゃ「必死」な感じが伝わってきます。でも、CMが入るはずだった放送枠で、番宣(番組の宣伝)ばかりやるのは「イタイ」感じで目を覆いたくなります。しかも、さらに番組の中に番宣を入れて、同局の番組同士で「キズのなめ合い」をしている感じです。バラエティでゲストが出たときは、その後、そのタレントが出演する番組のビデオクリップが流れると思って間違いありません。

とくに、ドキュメンタリー番組やスポーツ中継の中で、アレをやられると、思わずチャンネルを変えたくなります。そんなとき、「ウチにレコーダーがあって良かった」と思うんですね。ワタシ、録画した番組のCMは結構ちゃんと見ますが、番宣は4倍速の早送りで飛ばします。

それと、タレントの私生活を暴露する番組ばかりで、面白くないですね。タレントは本来、その「芸能」で勝負するべきなのに、誰にでもありそうな生活を、公共の電波を使ってアピールするのは、どうなんでしょうか?
そもそも、芸能人にはミステリアスな部分があるからこそ、その私生活の一端を垣間見せることで一般人の興味を惹くのに、最初から「ネタをやらずに私生活暴露」じゃ、シロウトが出る番組と同じで、高いギャラを払う必要もないでしょ。

今どきは「お笑いブーム」のようにいわれていますけど、彼らの多くが「芸能」ではなく「自虐ネタ」で喰っているように思えますね。
本人たちもきっと、「このままじゃいつか飽きられる」とわかっているんでしょうが、テレビ局側がそうせざるを得ないように仕向けるんでしょうね。

そういう意味では同情しますけどね。


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#0171@ジャングル大帝 [テレビ番組]

フジテレビの特番アニメを見ました
ジャングル大帝のテレビオリジナル版(約2時間)の特番を見ました。ストーリーはオリジナルとのことですが、テーマとしては、いかにも手塚治虫らしい内容になっていたと思います。
というかむしろ、「手塚イズム」を一生懸命表現しようと、制作サイドが気合いを入れすぎてしまったのではないか? とさえ思える力作です。

手塚作品の多くは世の中はとても複雑で、「完全な悪、完全な善」は存在しないということを、われわれ「凡人」に示唆してくれます。それこそが人間らしさ、人間くささだと。その上で、

「欲張るな、おごるな、さもないと……。しかし未来はある。希望を持て」

と、生きる勇気を与えてくれるわけですね。

よく、「手塚作品にはヒューマニズム」を感じるという人がいます。たしかに、普遍的な意味で「人間はどうあるべきか?」を常に示唆してくれている感はあります。そもそも本来のヒューマニズム(英語)には、「人間第一主義」「利己的な人類愛」といったような意味合いもあるようですが、日本人がヒューマニズムという言葉を使う場合、そうした悪意を含むことはないようです。それもきっと、手塚治虫がヒューマニズムを善意として日本人の心に定着させたからではないでしょうか。

今回の「ジャングル大帝」も、ネタバレするので詳細は書きませんが、そういうテイストになっていました。「人間が自然を支配できるか?」 という問題提起があり、そして結局、「それは無理だ」ということになるわけですね。その展開自体は、ある程度(見る前から)予想できたことですが、その「着地点」をどこに持っていくのか? その点にばかり注目して見ていました。子供向けっぽい作りの中で、いかに「大人も納得する哲学的な着地点」を見いだしてくるのかに期待しました。

その点については、見る人それぞれの感想になると思いますが、ワタシの場合、自然を支配しようとする「大山賢造」という人物の声アテを、テレビアニメ版のブラックジャックの声を担当した大塚明夫が演じているというところに「着地点」を見つけました。大山賢造は、物語の中に登場する「唯一の悪」です。それが手塚アニメのヒューマニズムの象徴であるブラックジャックと同じ人によって演じられている、という点に制作サイドのメッセージ性を感じました。

つまり、そういうことなのか、と。


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#0130@一休さん [テレビ番組]

アニメの一休さんは296話もある
今日も放送されていましたが、BS朝日で「一休さん」が毎週水曜日に放送されています(野球中継などで休止することもあります)。

今日のお話は、第102話となります。今どきのアニメは1クールで終わってしまうものが多いですが、当時(1970年代)は半年モノが多く、盤石な人気を確保していた放送枠の場合は、1年単位で切り替わる、という感じでした。

ガッチャマンシリーズは名前を変えて4~5年存続させましたが、一応、それぞれを別シリーズとして考えると、一休さんは凄いです。先ほど調べたら、最終回は「296話」です。途中、放送日が毎週水曜日から月曜日にシフトしたものの、テレビ朝日系列(旧NETテレビ系)で、なんと足かけ7年(1975~1982年)も放送されました。まあ、ガッチャマンの後釜に座った「サザエさん」がその後、現在まで続いているので、簡単に抜かされちゃいましたけど。

個人的には、一休さんというと、どうも途中のCMに出てくる「高見山」をつい思い出します、反射的に。

で、そのCMに入るときに
「一休、一休、一休、」と秀念さんらに呼びかけられて、
「は~い、あわてない、あわてない、ひとやすみ、ひとやすみ」
と一休さんが応えて昼寝を決め込むお決まりのシーンがありますよね?

アレに、「和尚さんバージョン」というのがあったんですね。
どんなものかというと……、

>>>>>続きを読む>>>>>


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#0127@テレビ局の思惑 [テレビ番組]

マイケル・ジャクソンの思い出
マイケル・ジャクソンの訃報には驚きましたね。ニュースでもアレコレいっていますけど、どうなんですかね。
テレビで急きょ特番が組まれたそうですね。ただ、思いのほか視聴率が高くなかったらしいですね。でも、何だか、その理由がわかる気がします。日本のテレビ局がマイケル・ジャクソンの番組を、「ファンが喜びそうな内容で作れる」とは期待していなかったんじゃないでしょうかね。ワタシもそうですが、
「どうせ、昔のフィルムをツギハギしただけだろ?」
と、冷静に捉えていたのではないかと思いますね。

ワタシのマイケルに関する思い出というと、ちょうど「スリラー」が大ヒットしているときに、アメリカに留学していた知り合いが、「スリラーのアルバムをカセットに録音して帰国した」というタイムリーな出来事があったことですかね。

ワタシは洋楽には詳しくなかったですが、どうやら「マイケル・ジャクソン」って凄いミュージシャンがいるらしいってコトは知っていました。神奈川の鵠沼海岸に「ビリージーン」というお店ができたのも、ちょうどその頃じゃないですかね。

で、その留学生いわく「スリラーのプロモーションビデオ(PV)は、13分とか超長いんだぜ」「それで、PV専門のケーブルTVでも、その時間の長さが理由でなかなか放送されないんだぜ」とのこと。

えっ、PVってナニ? ケーブルTVってナニ? ワタシはそんな反応しかできませんでした。

でも、そうやって話す彼がちょっと羨ましかったのも事実です。アメリカのポップスについてアツく語る彼は輝いていました。今になって思えば、大学生ぐらいの年齢でアメリカに住んでいれば、アメリカのポップスに詳しいのは当たり前といえば当たり前なんですけどね。

そんな彼が帰日中に、彼にとってショックな出来事が起きました。なんと、日本のテレビで、普通に「スリラー」がノーカットで放送されてしまったんです。ちょうど、ワタシといっしょにテレビを見ているときに……。

ワタシとしては、初めて見る映像だったので「へぇー、歌手のクセに凄いメイクしてるね。セットも映画みたいだね」と素直にPVを評価しましたが、どうやら、彼自身も映像を見たのはそれまでに数回しかなく、しかも「ノーカット」は初めてだったようです。そのことを、10年以上経ってから聞かされましたけど、そういえば、なんだか妙な表情をしていたような気がしますね。

そんなこんなで、なんだかわからないウチに感化されてしまい、
「このアルバムだけは買っておかなければ……」
と、スリラーを買ってしまいました。今でも、家のどこかにあると思うんですが……。

そういえば、スリラーの映像は「おれたち、ひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」で、パクったのをやってましたね。アレもウケましたね。マイケル役は「ウガンダ・トラ」でした(彼もすでに故人ですけど……)。今でもスリラーと聞くと、両者をいっしょに思い出しますね。

あとは、日本に連れてきたチンパンジーに「バブルス、、」と優しく話しかけていたのがとても可笑しかったです。「おもしろい外タレじゃん」と思っていましたね。あとでアレがウケ狙いじゃなかったことを知りましたけど。
今じゃ、日本のペット犬の飼い主は、多くの人が大旨あんな感じですけどね。

というわけで、アルバムを何とか探して、久しぶりに聴いてみますかね。でもその前にレコードプレーヤーを探さないと……。

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