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#0147@ホテル・ルワンダを見た [映画]

われわれはこれを「非日常」と捉えていいのか?
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「ホテル・ルワンダ」は、2004年に南アメリカ、イギリス、イタリアの共作として制作された映画です。舞台はアフリカ東部の「ルワンダ」。そのルワンダで、1994年に実際に起きた民族紛争の末の大量虐殺事件の際に、自分が務めるホテルに難を逃れてたどり着いた人々をかくまい、世話をするホテルマンの物語です。

ルワンダはベルギーの植民地だった経緯がありますが、そのベルギーから独立したのを契機に、多数派を占める「フツ族」と少数派の「ツチ族」の対立が激化し、大量虐殺を引き起こしてしまいます。

物語の視点としては、国連軍や宗主国であるベルギーの軍隊が現地に派遣されたにもかかわらず、虐殺を止められなかったという事実に注目し、国際社会の無力さを痛烈に批判しています。このあたりは、翌年に放映された「ルワンダの涙」でも同様の主張が描写されています。虐殺シーンは、ルワンダの涙の方が残虐だったかもしれません。
映画に登場する「武装勢力」は、国連軍、ベルギー軍、ルワンダ軍、フツ族民兵、ツチ族反乱軍ですが、基本的に大量虐殺を行うのはフツ族民兵です。しかし、ほかの軍隊はそれを止められません。

国連軍は中立なので、どちらの勢力に対しても自衛目的以外の発砲が禁じられていますから、結局、手を出せません。
ベルギー軍は、舞台となったホテルがベルギーに本社がある会社の持ち物で、ヨーロッパやアメリカからの白人の宿泊客がいたことから、彼ら「白人」を助け出すためだけに派遣され、アフリカ人をひとりたりとも助けません。
ルワンダ軍は「ワイロをもらわないと動かない」ので、結局、民間人のツチ族を守る軍隊はないんですね(ツチ族反乱軍はほとんど登場しません)。
そういえば、この映画では全編に「ワイロ」が出てきます。ルワンダの社会では、ワイロがないと平穏に暮らせないかのごとく、たびたび「受収賄」の場面が出てきます。端的に言えば、ワイロが動くか動かないかで、人の生き死にが決まる社会ということになるでしょうか。

ホテルから白人が非難するためのバスに「犬」が同乗しているシーンが象徴的でしたね。西側先進国にとって、1200人のアフリカ人よりも、1匹の犬の方が大事なのかと思わせるシーンです。

ところで、この作品は2004年の南アメリカ、イギリス、イタリアの共作ですが、前出の「ルワンダの涙」は2005年のドイツ、イギリスの共作ということになっています。両映画に参加しているイギリスは、国としてはこの紛争には直接的には無関係と思われますが、よく考えてみると、アフリカに武器を持ち込んで現地人に供給し、最初に民族紛争を煽ったのは、じつは奴隷貿易時代のイギリス人ではなかったでしょうか?
もちろん、映画を作ったのは「民間人」であって「国」ではありませんが、どうも、自国の過去の悪行を棚に上げて、他国(この場合はフランスやアメリカがターゲットと思われます)いるように感じてしまいます。

こういう映画を見ると、「どうになならないのか?」と思いつつ「自分にできることはあるのか?」というところで思考が停止してしまいます。何も具体的な解決策が思いつかないんです。でも、映画には多少のフィクションはあれど、大量虐殺が起きたのは紛れもない事実であり、「テレビの向こうの非日常」ではないわけですからね。いったいどうすればいいのでしょうか?

それと、もうひとつこの映画で「嫌な場面」と感じたのは、フツ族がツチ族を襲うための武器として使われる「大ナタ」が、中国から大量に輸入されたものであると示唆するシーンです。ついに兵器産業にも、たとえ原始的な武器とはいえ、中国企業が参加してきたんでしょうか。彼らが本気になれば、一気に相当数の武器を作ることができますから、もしかするとロシアやアメリカを上回る兵器供給能力を獲得する日もそう遠くないのかもしれません。

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